帰省のときのおみやげの数

都会にでていると、正月や夏休みなどの帰省は一大イベントになる。
とくになにかあるわけでもないのに、なんとなく帰らねばと思ってしまうのは、親が擦り込んだのかもしれない。
とはいえ、以前に比べて、今は、かなり気軽に帰れるようになった。

学生の頃は、春、夏、冬の休みになると田舎に帰っていた。
帰ったからといって、友達と遊びまくるわけではない。
偶然、町で見かけたら声をかけることはあっても、東京にいる間に連絡をとって約束するなんてことはしない。
社会人になると、クラス会などが始まり、たまに出席することはあっても、それらのために自分の帰省の時期を変えることはない。
とはいえ、このころから、徐々に帰省が大荷物になってきていた。
洋服などがすでに東京に送られてしまったこともあり、毎回持って帰らねばならない。
しかも、出かける用事があると、それなりの服も持って帰らねばならない。
一番面倒なのは、お土産の類である。

親たちのお付き合いから、顔をだすだろうところには全部大なり小なり用意せねばならない。
なので、小さいものだが、数が多いことになる。
そんな状態もだんだん変わってきて、今では、数個で済んでいる。
これは、顔を出すところが減ってきたことによるのだが、母たちの人間関係が微妙に変わってきたことに起因している。
私自身は、あまり変わっていないのだが、東京にいる間に、田舎でも何かとトラブルは発生するらしい。
田舎だけに人間関係は難しそうだ。

夏休みと正月休み

大好きな夏休み。
昔は、2ヶ月近くあったなあ、なんてノスタルジーに浸りながら思い出す、今や私も社会人。
夏休みなんてものは、暦どおりのお盆休みに過ぎない。

年によって、長さが変わる。
祭日の散り方によっては一週間以上休めるロングバケーションのこともあるし、非常にまずい祭日の配置だと、3日間ぽっちとかいう、切ない涙を誘う年もある。

それでも、夏休みというのは一年働く原動力になっていると思う。
大げさだろうか?
いや、そんなことはない。
私は、一年で一番この夏休みを楽しみに生きている。

夏休みになったら、あれもしようこれもしよう、あそこにも行こうここにも行こう、なんてことを楽しみながら考える。
実際にはどこにも行かなくたって、全然いいのだ。
休日の過ごし方を考える、そのことが大切なのである。

だから、大好きな夏休みが終わってしまうと悲しくってしばらく立ち直れない。
まあすぐに仕事に忙殺されて、悲しさに浸っている暇もなくなるのが現代人だろうけれど。

そうして次第に気配が秋めいてきて、肌寒い日が増えてくる。
夏の空気がすっかり払拭されてしまうのが9月から10月。
この頃になると、もう私は次の大型連休のことを考える、

ちなみにシルバーウィークは大型連休とは認めない。
あまりに飛び石が多いから。

だから、次の大型連休と言えば、正月休みである。
10月に入った頃には、もう大晦日の過ごし方のプランを立てるのである。
どこに行って、何を食べて、何のお酒を飲むか。

それを考えているだけで幸せである。
たまに、今現在を生きたほうがいいのではないか、と我に返ることもあるが、気づかないふりをして、今日も正月休みのことを考えている。

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